『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』
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2011/1/8
どんな哲学も、それぞれある種の人にしか意味を持たない
この本が対象とする読者は、その内容が何であれ、悪いことをしたくない、できるなら善いことをしたい、という願望を持っていない読者である。 p.9
これ、ちゃんと読むならスクボ読書にして構造化しながら読んだほうがいいなmrsekut.icon
普通の文章でも読めはするけど、大事な箇所をめちゃくちゃ落としちゃう気がする
時間をかけて読む価値のある本に感じる
以下の2つの章が交互に入る構成
倫理学のM先生の講義
猫のアインジヒトと、↑の講義を聞いた祐樹くんと千絵さんとの議論
序章 アインジヒトとの遭遇 何が問題か?
道徳的に悪いことは、必ず、自分にとっては善いことになる
逆に、道徳的に善いことは、必ず、自分にとって悪いことになる
2つの区別
以下の2つ
自分にとっての、善いこと/悪いこと
他人にとっての、善いこと/悪いこと
以下の2つ
全体的・長期的に見た自分にとっての、善いこと/悪いこと
その時の自分にとっての、善いこと/悪いこと
よくある倫理学は、自分と他人が完全に平等であることが前提にあるmrsekut.icon
永井均はそこから崩している
第1章 M先生の講義1 プラトンとアリストテレス(真の幸福について)
3名の人物が出てくる
トラシュマコス
利己主義こそ人間本来の姿
グラウコン
誰もが利己的に行動すると、お互いに被害を被るのでノモスが必要 つまり、誰も自発的に正しい人間は存在しない
強制的にそうしているだけ
アデイマントス
これらを天秤にかける
自分が他者の不正を受けることで被る悪
自分が他者に不正を加えることで得られる善
これが、前者 > 後者になるので、法のようなものを予め整備する
これが正義
正義にかなう生き方こそが本当の幸福
by アリストテレス
それに対する3つの論拠
政治的独裁者を極端に不正な人の代表例とみなす議論
理性、気概、欲望という魂の3つの部分が、それぞれの快楽を持つことに基づく議論
真に実在してはいないものによって得られた快楽は、真に実在してはいないという主張に基づく議論
現実世界
アリストテレスの捉え
イデア論の否定
倫理学は普遍的な指針である
倫理学は厳密な普遍性は要求されない
イデアとカテゴリー
アインジヒトとの議論1 人はみな自分の幸福を求めているか?
哲学者の評価は、主張ではなく、問題提起がどれだけ本質をついているかですべき
生成論と静態論が何かわからんmrsekut.icon
M先生の講義2 ホッブズとヒューム(社会契約について)
アインジヒトとの議論2 社会契約は可能か?
M先生の講義3 ルソーとカント(「自由」について)
アインジヒトとの議論3 利己主義の普遍化は不可能か?
M先生の講義4 ベンサムとミル(功利主義について)
アインジヒトとの議論4 利己主義と“魂”に対する態度
アインジヒトのはじめての講義 ニーチェとキリスト教道徳〔ほか〕